たにまのひめゆり

暮らしの『レシピノート』

この世に遺したい亡き祖母のレシピノート

おばあちゃんからの結婚のお祝い

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宝物の祖母からのレシピノート

こんにちは。

今は、便利なアプリがたくさんあるので、レシピをノートに書いている方は少ないかもしれませんね。

上にある手書きのレシピノートは、わたしが結婚するときに、祖母がじぶんのレシピを大学ノートに書き写して、くれたものです。

結婚して、わたしが作った料理といえば、この祖母からもらったレシピで作ったものと、本やネットを見てアレンジしたものです。

この世に遺したい」は、大げさですが、自分自身の記録としてもよいので、少しずつ、ご紹介できればと思います

よかったらご覧ください。

よろしくお願いいたします。

わたしの大好きな祖父母

この世を去った最愛の祖母と祖父

少し、ふたりの思い出を聞いてもらってもいいですか。

2016年6月 最愛の祖母がこの世を去りました。享年87でした。

ちょうど1年前の6月に人生を共にした彼女の夫、わたしにとっては祖父も逝きました。享年94。

祖母は、祖父のお迎えが来たかように、安らかな最期でした。

祖母は骨髄の病気で下半身不随に

祖母が、脊髄の病気で、下半身不随になったのは、40代前半のころです。

87年間生きてきて、半分以上が車いす生活でした。

4年間、転々といろいろな病院で、入院生活を送りましたが、結局当時の医療では治すことができませんでした。

そして病気の祖母の人生を支え続けたのが、祖父です。

幸い、自営業で、仕事場兼自宅であったため、体を悪くするまでは、人の助けを全く借りず、すべて祖父が介護をしていました。

車いすで生活するということ

わたしが、物心がついたころから、ずっと祖母は車いすでした。

祖母が、朝、ベッドから起きるまでの間、祖父がばたばたと動き回っていて、物を運ぶ音、水を流す音、さまざまな音が聞こえてきました。

祖母がきちんと洋服に着替えて、車いすに乗るまでにかなりの時間を要します。

祖父が、掃除・買い出しなどの家事全般、祖母のお風呂や下の世話まで、すべてやっていましたので、大変さは重々、承知しております。

でもそれは日常のことで、別にとくべつなことではなかったのです

今、思い出しても、ふたりで仲良く、洗いものをしたり、洗濯ものを干したり、畳んだり、そんな姿ばかり思い出されます。

わたしの知らない辛いことやしんどいことはあったと思います。

祖母から、祖父と喧嘩して、口を一日聞いてない、なんて話もありました。

誰だって、喧嘩のひとつやふたつしますもんね。

それくらいごくごく普通の夫婦でした

おばあちゃんの遺書

祖母が亡くなったとき、祖母の手帳兼日記に、祖父への遺書が挟まれていたのを見つけました。

じぶんはこんな体だから長くは生きることができないと思って、書いたのだと思います。祖父のほうが先に逝ったので、祖父は知りません。

そこには、今までじぶんを支えてくれたおじいちゃんへの愛情と感謝のきもちが、あふれるほどに綴られていました。

足が動かなくなったとき、おじいちゃんが「絶対に治してやる」と、おばあちゃんを励ましつづけていたとういう事実。

おばあちゃんがじぶんのせいで、おじいちゃんに、やりたいことをさせてあげられず、我慢させていて申し訳ないというお詫びのきもち。

そしておじいちゃんのおかげで幸せだったという感謝のきもち。

わたしの知らないふたりのことが書かれていました。

わたしにとって理想の夫婦

祖父と祖母はふたりでひとつでした。

わたしの理想の夫婦でした。

夫婦とは、一生の忠実を約束することだと思っています。

祖父は、祖母と縁を結び、自分の命が尽きるまで、そばに寄り添っていました。

しんどいこともつらいこともあったと思いますが、投げ出さず、不平不満をいっさい言いませんでした。

多くを語りませんでしたが、いつもにこにこ、わたしたちの話を聞いてくれました。とても強くて、やさしい人でした。

祖母は、体が不自由で、つらくて死にたいと思ったこと、おじいちゃんやまわりに迷惑をかけているという罪悪感で、押しつぶされそうになったこと、わたしへの手紙に一度だけ書いてありました。

祖母は、いつもまわりに感謝していました。そして自分のことはそっちのけで、おじいちゃんやわたしたちの心配ばかりしている人でした。

お互いに真心をもって、尽くしあい、関係を築いていったのでしょう。

ふたりが長寿だった理由

わたしはふたりが長生きだったのは、仲が良かったというのもあるでしょうが、お料理だったのではないかと思っています。

祖母は、とても料理が上手で、夕飯のテーブルには何品も料理が、並んでいました。

祖父は、それを「おいしい!おいしい!」と言いながら、食べていました。

わたしが行くと、「おばあちゃんの料理がいちばんだろー」とうれしそうに自慢をするのです。

祖母の料理はものすごくおいしいし、愛情がたっぷりで、祖父が、あんなにも長生きができたのもそのおかげだと思います。

健康の秘訣は、おいしいものを楽しく、感謝しながらいただくこと。これに尽きるのではないのかなと思います。

この世に遺したい祖母のレシピノートのまとめ

わたしには、祖母が祖父のために、何十年間も作り続けてきた料理のレシピがあります。

宝物です。

冒頭でも申し上げましたが、この世に遺したいとは大げさですが、わたしのためにも記録しておきたいと思いました。

皆さまのお役に立てるレシピかどうかわかりません。でも少しでも興味を持ってくださったのなら嬉しいです。

祖母のレシピで、お料理を作っているとき、ふたりのことを思い出します。

祖母は、祖父のことを思って、お料理を作っていました。そしてわたしも、「おいしいよ。ありがとう。」といってくれる人のために作ります。

さいごまでご覧くださいましてありがとうございました。

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さいごに

おばあちゃん、1年間、おじいちゃんのいない人生つらかったよね。わたしたちのために最期まで笑顔で頑張ってくれてありがとう。やっとおじいちゃんと並んで歩けるね。

おじいちゃん おばあちゃん おつかれさまでした。そしてたくさんの愛情をくれて、ありがとうございました。

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大好きなおじいちゃんとおばあちゃんへ

愛と感謝を込めて

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