裏ドリワンダーランド
代々木にて
2011年10月1日、まさちゃんの誕生日に、代々木で行われた『ウラワン』に参戦してきました!セットリストを30秒の視聴とともに、ご紹介いたします。
表ではランクインされなかったり、アルバムツアーなどで、生で聴くことがめずらしくなってしまった数々のドリカムの名曲を披露してくれました。
美和ちゃんの歳を重ねるごとにうつくしさが増していく歌声で、遠いむかしを懐かしんだり、今、生きていることに感謝できたり、とてもしあわせな気分になりました。
しかも10月1日、まさちゃんのお誕生日に、そんな日に当たるなんてほんとうにラッキーです。お誕生日おめでとうございます!
最新のコンサート情報はこちらです
2017/2018 THE DREAM QUESTのセトリはこちらです。
【ドリカム】THE DREAM QUEST 2017/2018 セットリスト:さいたまスーパーアリーナ10/21(かんぽ生命協賛)
【裏ドリワンダーランド(ウラワン)2016】のセットリストの発表!!!
裏ワン2016のセットリスト 代々木バージョン発表!
- さよならを待ってる
- ROMANCE
- LOVE GOES ON
- いつのまに
- SWEET SWEET SWEET
- 月光
- Goodbye, Darlin'
- 週に一度の恋人
- カノン
- NOCTURNE 001
- 雨の終わる場所
- うれしはずかし朝帰り
- あはは
- ラヴレター
- go for it!
- LOVETIDE
- Flowers
- POISON CENTRAL
- みつばち
- なんて恋したんだろう
- PROUD OF YOU
- よろこびのうた
- HAPPY HAPPY BIRTHDAY
- あなたのように(かんぽ生命のCMソング)
- おやすみのうた
- うれしい!たのしい!大好き!
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かんぽ生命100周年記念CMソング
新曲である「あなたのように」は、かんぽ生命のCMソングで、100周年記念のためにつくられました。
もし100年も世の中を支えてきた人だとしたら、その人はどんな人で、どのように生きて、わたしたちが、その人と関わるとしたらどのような気持ちになるだろうと想像してつくられた楽曲だそうです。
ライブで、美和ちゃんは正ちゃんの目をじっと見つめながら歌っていました。そして涙を流す2人の姿は、深い絆を感じるとともに、長い間ドリカムとしていろんなことがあって、乗り越えてきたんだなと感じました。
こうやってお互い、尊敬しあい、感謝のきもちをつねにもてる2人だからこそ、わたしたちのこころに響くのでしょうね。
こちらの曲はネットの音楽配信のみです。
ウラワンの選曲は『ウラBEST!私だけのドリカム』から
ディスクは3枚あります。
- WATASHI DISC
- WIWA DISC
- MASA DICS
ずっと聴いています。生で聴きたいです。懐かしいナンバーばかりです。
正ちゃんの誕生日10月1日お誕生日おめでとう!
ワンダーランドはドームツアーです。ヒット曲オンパレードで、お祭りみたいなイベントでものすごく楽しめますよ!
でもわたしはどちらかというとアルバムツアーや今回の裏ワンの方が好きなんです。なぜかというと、音響がいいし、ドリカムとより狭い空間にいれるからです(笑)
今回も、美和ちゃんの圧倒的な歌唱力とドリカムらしい演出や音楽性でとてもたのしいライブでした。
美和ちゃんのありえない音域と安定性、厚みのある重低音、爆発力のある声量は、音響のよい会場で聴きたいのです。
しかも今日、10月1日は正ちゃんの誕生日です。アンコールを待つあいだ、どこからともなく聴こえてくる「HAPPY HAPPY BIRTHDAY」。
それがどんどん広がって、会場全体の大合唱に。3回もみなで歌いました。
ドリカムの2人がわたしたちをとても大切に想ってくれているように、わたしたちも2人のことが大好きでたまりません。みなのそんな気持ちがあふれた一瞬でした。
アンコールが始まって、美和ちゃんや正ちゃんが「ありがとう!ありがとう!」と何度も頭をさげ、くりかえし感謝のきもちを伝えてくれました。
そのあと、美和ちゃんのパワー溢れる声が加わって、またまた始まった「HAPPY HAPPY BIRTHDAY」の合唱。
会場全体が一体となって、とてもしあわせな気分になりました。
美和ちゃんの存在で自己肯定感が生まれる!
どの曲もほんとうになつかしくて、やっぱりドリカムのことが大好き!と再認識しました。とくに、アンコール前の「PROUD OF YOU」はこころがしみました。
la la la... あなたはぜったいにしあわせになるから
la la la... だってあなたがいて わたしはしあわせだから
わたしの大好きなドリカムの楽曲のひとつである「愛がたどりつく場所」。
あなたがいるなら あなたがいてくれるから そこは わたしの愛がたどりつく場所
この2つの楽曲で、共通しているところがあります。
「あなた」ということばです。
「あなた」と歌うときに、美和ちゃんはひとりひとりに熱い視線を向けて、指をさします。それはそれは愛おしそうにわたしたちを見てくれます。
おおげさですけど、「わたし、ここにいていいんだ」って思えるんですよ。
「そこにいれくれるだけでいいんだよ」といわれている気持ちになるんです。
じぶんの存在が美和ちゃんに認められて、ポロ、ポロ、ポロと涙がこぼれるんです。うれしくて。
そんなふうに感じたあとに「POWER PLANT PRESS」の87の中の座談会で、こんな記事を読んで驚きました。
矢野:(省略)たとえば呼びかけの言葉である<あなた>は、吉田さんのいろんな歌詩に出てきますが、読んでいると一対一の関係からどんどん普遍化していって、大げさかもしれませんが神様から人間への<あなた>という呼びかけにも思えてくるんです。<あなた>という一語に、遠く大きなものを感じさせる広がりがあります。
同じように感じている人がいるんだと思いました。だからきっと他にもたくさんいるはずです。
美和ちゃんがこころから叫ぶ『あなた』には、
「あなたはあなたでいいんだよ」
「ありのままの『あなた』でいいんだよ」
そう、包み込んでくれる何かを感じるんです。
そもそも『ウラワン』とは
DREAMS COME TRUEこと、ドリカムは、アルバムツアーとはべつに、4年に1度「史上最強の移動遊園地 DREAMS COME TRUE WONDERLAND」とライブを開催しています。ファンが好きな曲を選んで、そのリクエストによって選曲されるものです。ヒットチャートに入ったことのある曲はもちろん、アルバムの中の名曲とされるものなどさまざまです。
1991年から始まって、国内だけで2015年まで7回開催されています。曲数はアンコールを含めて、30曲くらいです。
そして「裏ドリワンダーランド」と題して行われたライブは、2012年から始まって、2016年で2回目の開催となります。通常のワンダーランドのリクエスト曲から惜しくも、外れたものや隠れた名曲が歌われるライブです。
私とドリカム
「私とドリカム」というアルバムがあります。このタイトル通りですが、私とドリカムとの話を少し聞いてください。ほんとうに個人的なことなので、興味のない方はここで、そっと閉じてくださいね。
音楽は嫌いではなかったですし、歌うことも好きでした。しかし家の中で、音楽がずっと流れているということはありませんでした。
家事や作業をしながら音楽を聴いたり、ラジオを流していたり、とりあえず帰ったらテレビをつけるという方はたくさんいらっしゃると思います。
わたしは音のある生活が苦手です。これはとくに大人になってからです。
テレビも見るときはつけるけど、見終わったら消す。音楽も聴きたいと思ったときに流す。邦楽、洋楽、クラシックなど聴きますが、ほんとうにたまにです。
音楽がないとさみしいという感覚はあまりありません。
しかし唯一、ドリカムだけは、大好きなアーティストです。元々、女性ヴォーカルは高い声の方が多くて苦手だったのですが、美和ちゃんだけは違いました。ファーストアルバムから購入して、コンサートのビデオ・DVDも購入するのはドリカムだけです。
ドリカムの音とリズム、詩、美和ちゃんの声がわたしのこころにしっくりくるんです。音楽が雑音にしか聴こえないときもありました。でもドリカムの曲はこころを穏やかにしてくれたり、パワーをくれます。
ドリカムが全米デビューしたのをご存知でしょうか。そのとき、ボストンに住んでいました。
ともだちがラジオ局に勤めていたので、関係者のパーティーにそっと潜り込ませてもらいました。
そのとき、美和ちゃんに握手してもらって、サインもいただきました。日本人と思われなかったのか、最初英語で話しかけられてびっくりしましたけど(笑) さいごに記念に関係者一同で写真を撮ったのですが、わたしもなぜか厚かましく映っています(笑) 写真はいただけなかったので、手元にありません。
わたしにとって神のような存在の美和ちゃんと(正ちゃんとも)握手をしていただいて、ことばをかわしたことが夢のようで、ほんとうに夢だったのではないかと感じます。
美和ちゃんは覚えていてくれていますか?変な日本人のこと(笑)
美和ちゃんことば NHKのsongs より
NHKのsongsという番組で語られたことばがあります。内容は覚えているのですが、ちゃんと伝えたいと思い、引用させていただきます。
今日コレをやってる、やらしてもらってることで、なんか音楽の力を伝えたいとか、実は私の中ではちょっと違って・・・・ なんかその音楽の役割とか力とかも、もちろん自分はプロの、いちおミュージシャンなわけだしさ、それは、ほんとに、あったらいいな! って願いながらやっているの。それがあるとは私には断言できないと言うか、なぜかというと自分も音楽が何も役に立たなかった、このあっし(美和さんの一人称)が、役に立たなかったぐらいの絶望を経験したからなの。だから、でもだからこそ、音楽の力があればいいなって、ほんとにほんとにほんとに強く強く願いながら、でもここで、こうしてなんか、へぼりながらも唄っていることが、もしかしてそんなすごいすごい大変な毎日を、送っている人たちの、なんかふとした時にはって聴こえてきてさ、なんか、ほんとふとした時にハッて、なんかこういう風に(顔を上げるようなしぐさ)なれるようなさ、ほんとそんなちっちゃなことでもいいから、なんかそんな風になっていったらいいなって思ったので、そうなっていくためにはどうすればいいかっていうと、やっぱり、ねえマサくん、私たちは、えっと、やっぱしここでさ、強い気持ちを持ってさあ、唄っていくしかないと思うんだ。いっこ、ほんとに私たちが、私もマサも信じているのは、きっと人ってさ、思うほどさ、なんか弱くないと思うんだ。私はそうすごい信じたいと思っている派なの(照笑)。なのでね、なんか、とにかく、えっとみんなに何が言いたいかっていうと、あの、私もマサさんもここ(ステージ)にいるみんなも、強い心でさ、ほんとに、あの、ずっといるんで、あのー、なんかあったらほんとに、なんつーか、あの、言ってきていいから(会場笑) あの、大した役には立たないかもしれないけど、ほんとにここでさ、唄っているんで、なので、ほんとにあの、「よかったね」って言える日までさ、「ここまできたね」って言える日までさ、なんか、やっていこう一緒に。ね。(お辞儀) 今日はほんとありがと(笑)
この番組で、この言葉を聞いてものすごく共感しました。
今は東京に住んでいます。2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災を経験しています。
そして、それ以前に、1996年1月17日午前5時46分に発生した阪神・淡路大震災も経験しました。そのときは神戸に住んでいました。三宮から山の方へ数キロメートル上がったところです。
トンネルや地下街を通るとき、神経がピリピリして恐怖を感じることが何年も続きました。後遺症ですよね。
揺れたときは、何を考えていたのか覚えていません。この世の終わり?みたいなことを思ったような気がします。ベッドの縁にしがみつきながら、振り落とされないように必死だったのを覚えています。まるでジェットコースターみたいでした。
一度静まったあと、家族の声が聞こえて我に返りました。母の「スリッパを履きなさい」と叫ぶ声が聞こえてきました。割れたもので足を切らないようにです。意外に冷静だった母を思いだすと不思議です。
住んでいた山の手のほうは被害がさほどなかったのですが、ライフラインが完全に復旧するにはかなりの日数がかかりました。
電気はその日の15時くらいには通りました。テレビが映ったので、状況がだんだんとわかってきました。その日は何度も余震がありました。ベランダから、神戸港が見渡せるところにあるのですが、100万ドルの夜景といわれる神戸が、真っ暗。しかし、三宮と長田区の方は火の手が上がっています。距離は遠いはずなのに、今にも火が押し迫ってくるような感覚で、恐ろしくて恐ろしくて、母に抱きつきました。
その日の夜は、1つの部屋に家族全員集まって、交代で寝ることにしました。電気はつけたまま、そして神経は、緊張状態が続いているので、ほとんど眠れませんでした。
水道とガスはなかなか通りませんでした。水は各地からの応援で給水車が来てくれて、時間になったら並んで、水をもらいにいきました。ガスはなかなか通らなくて、お風呂に入れないので、まいにち同じ洋服をずっと来ていました。
スカートを履いている人やヒールを履いている女性はほとんど見かけませんでした。化粧をするのも、ひんしゅくものだったようです。(当時は学生だったのでわたしは化粧をしていません)
ばっちり化粧をして、スーツを着て、ヒールを履いた政治家が被災地に来た時、ものすごくバッシングをうけていたのを覚えています。
テレビは、ニュースか公共広告機構のCMのみだったのですが、1週間後、ふつうの番組がはじまりました。
全国各地から、応援メッセージが届きました。応援ソングも流れていました。「がんばって」というメッセージもたくさん送られてきた覚えがあります。
でも「がんばって」ということばにわたしは、違和感をとても感じた記憶があります。
何をどう頑張ればいいのかわかりませんでした。とにかく目の前にあることを必死にこなすだけです。子供は水くみ係。どこどこに給水車が来ると聞けば走って、水をもらい、また次のところへ走り、そんな日を過ごしていました。
学校ももちろん休校です。携帯が当たり前の時代ではなかったので、ともだちの安否の確認もなかなかできませんでした。学校がはじまったとき、みなでよかったと喜びあったのを覚えています。
おじいちゃんとおばあちゃんが、焼け野原を見て、戦争のときのようだといってました。
そんな状況下で、音楽は聴いている余裕なんてありませんでした。
しかし少しずつ状況が落ち着いてきて、大阪にある塾にも通えるようになりました。地震後に大阪に行ったときはほんとうに驚きました。まるで何事もなかったかのように日常があるのです。お店のシャッターが下りている神戸とは違い、活気がありました。
神戸ではがれきの撤去のため、みなが粉塵の予防にマスクをしていましたし、まだライフラインは完全ではありませんでした。
電車も完全には復旧していなくて、一部代替バスでの乗り継ぎです。電車が復旧できていない地域は震災の被害が、ひどかったところです。
バス停は大通りに面していなくて、民家の中につくられていました。バスを待つ人が大勢ならぶからです。薄暗いがれきのそばに、いくつもの花束があちらこちらにお供えされていました。
それをみて、悲しくて悔しいきもちが起こらない人はいないでしょう。どうして神戸だけが。
美和ちゃんのまさに歌詞のとおりのきもちになりました。怒りをどこにぶつけていいかわかりません。悔しいし、むなしいし、いいようない気持ちでいっぱいでした。
まいにちのように増える死者の数、負傷者の数。よいニュースなんて一つもありません。家族がなくなった方や、避難所生活を強いられている方を思うとこころが痛くてたまりませんでした。
現実を逃避するかのように、何も見たくないから、移動するときなど、ドリカムを聴いていました。でもがれきだらけの真っ暗な景色を見ていると涙が止まりませんでした。
生きていると辛いことや悲しいことなんてやまほどあります。そんなとき、わたしにとって、音楽は雑音にしか聴こえません。音がうるさくて仕方がありません。耳をふさぎます。
かなり落ち着いてきたころに、やっと音楽を聴く余裕ができます。
だから美和ちゃんの考え方にとても共感できるし、彼女の歌詞にもこころが揺さぶられるのだと思います。ドリカムの楽曲には、かれらの考え方や想いが詰まっています。
さいごに
ドリカムはすばらしいアーティストです。
溢れるほどの愛情やファンを大切におもってくれる気持ちが、お腹いっぱいになるほど伝わってきます。
機会ございましたら、ライブにいってみてください。
こころにしみます。こころが震えます。
ファンクラブに入らないとなかなかチケットは手に入りませんが、入ると、ほぼ取れます。
最近、だれかの歌を聴いて、涙したことはありますか?
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おまけ
まさちゃん、お誕生日おめでとうございます。よき一年をお過ごしください!
楽しかったよー DVD絶対に買う!
更新日(2017/7/7)
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