愛犬がこの世を去って3か月が経ったのに枯れない涙
人の悲しみの深さはわからないもの
こんにちは。
2018年9月9日、愛犬じゅりが虹の橋を渡りました。13歳でした。
昨日で、私たちのもとを去って3か月が経ちました。
まだ思い出しては涙がこぼれます。
もともと涙もろい私と違って、主人は全く泣かない人。結婚して10年以上経ちますが、泣いているところを見たことがありません。
しかし、じゅりが亡くなったときは泣いていました。そんな主人を見て、私はとても驚きました。そしてしばらくは、2人でじゅりの思い出を語るにつけ、目を潤ませていた主人に、人の悲しみの深さはわからないものだと感じたのです。
平井堅の『half of me』ドラマ『黄昏流星群』の主題歌
昨晩、主人が動画で平井堅の『half of me』を聴いていたのです。映画やドラマ、歌にあまり興味のない彼が、真剣に聴いているのを見て、理由を尋ねました。
まさかカラオケで歌うつもり?!
私は一瞬そう感じたのです。いやいや、平井堅はあなたにはレベルが高すぎるからやめたほうがよいよ。仕事でカラオケに行くことがあるそうなので。
返ってきた答えに驚きました。タクシーに乗っているとき、ラジオでこの曲が流れてきたそうです。そしてその時、じゅりのことを想い出したと。
何度も聴いている様子で、薄っすら目に涙が... ...。
歳をとると涙もろくなるといいますが、まさかの出来事に私は驚くばかりでした。
愛犬じゅりが我が家にやってきたのは
2005年7月に、じゅりは我が家にやってきました。
主人の転勤で東京に移り、2週間経った日のことです。友達も知り合いもいない東京で、ふらっと覗いたペットショップのショーケースに、幼いじゅりがちょこんと座っていたのです。一目惚れでした。
すぐに飼いたい旨を主人に伝え、迎えることとなったのです。動物に興味がない彼は、自分は世話はしないといいました。もちろん承知しました。仔犬の世話としつけは、すべて私がすると。
基本、家にいるのが好きな私は、毎日のようにじゅりと2人で過ごしてきました。この13年間、主人よりじゅりと過ごした時間のほうがはるかに長い。べったりな関係でした。
そんな中、犬のいる生活が当たり前になってきて、次第に主人もじゅりを家族のように感じてきたようでした。しまいには、「僕の家族は、君とじゅりだ」なんて言葉が飛び出してきたときには、笑ってしまいました。
健康で病気知らずだったのでまさかこんな早くに逝くとは
12歳になるまでほとんど病気になったことがありませんでした。毎年のワクチンと狂犬病の注射、フィラリアのお薬、そしてドッグドックのために、動物病院に行くくらい。
しかし12歳になってから、副腎に腫瘍ができたり、後ろ足の前十字靭帯が断裂したりと、検査や手術をすることが多くなりました。
13歳になってから、膵炎になり、そして最後は腎不全で亡くなりました。
老犬になって寝たきりになったら、じゅりにとってどのような暮らしが快適なのか、本を読んで勉強をしていた矢先のことでした。
腎臓の数値が悪くなってからは、あっという間でした。
愛犬を失い悲しみに暮れる中
子供のいない私たち夫婦にとって、じゅりは特別でした。異常なほどの愛情を注いでいたような気がします。
私たちにとって、じゅりにとって、それがよかったのか悪かったのかはわかりません。自立心や社会性を育ててあげられなかったことは後悔しています。
でも自分の体の一部がえぐり取られたような、心に穴がぽっかりと空いてしまうほどの大切な存在でした。
そしてなによりこのじゅりと過ごした13年間がかけがえのないものだったのです。幸せな時間をたくさんもらいました。
主人にとって、じゅりは『half of me』
歌詞の中にある、
"君という空白は埋まらない あの日からずっと"
心に響いた言葉だったのかもしれません。私には、主人がどれほどの悲しみを持っているのか測りかねますが... ...。
涙がこぼれるほどの愛しい相手だったのは確かです。
よかったら聴いてください。
おまけ
またじゅりとの思い出を綴っていこうとおもいます。
ちなみに私が、『half of me』でいちばん心に刺さった歌詞は、
"あたりまえはいつももろい"
です。
失って気づくことばかりですが、日々の小さいな喜びを見逃さないでいきたいと思います。
さいごまでご覧くださいましてありがとうございました。
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