この1年間を振り返って
無駄なものは何ひとつない
こんにちは。
平成最後の年末、そして今日は、今年最後の日です。
この1年を振り返り、わたしの思うところを少し語りたいので、よかったらお付き合いください。
どんなことも無駄なものは何ひとつなく、後から必ず気づく大切なこと。
悲しみは胸がちくりと痛むこと
"さみしい"と"悲しい"の違いを最近よく考えます。
さみしいとは、「孤独だと思う感情。人や動物などが恋しいという感情」(参照: Wiktionary)
悲しいとは、「望むことと反対の現実に遭遇し、辛いこと。心が乱れて、感情が揺れ動く有様。切ないこと」(参照: Wiktionary)
わたしと愛犬じゅりはいつも一緒。
それが、ある日を境に、ともに過ごすあたりまえが、1つずつ失われていきました。
朝起きてもじゅりはいない。帰ってきてもじゅりはいない。どこにもいない。匂いも気配もあるのに... ...。
孤独に押しつぶされて、 「じゅりに会いたい」と泣き叫ぶ日々。そんな日が長く続きました。
でも独りぼっちに少しずつ慣れていきます。
そのあと、悲しいという気持ちが生まれてきました。
13歳は早すぎたのではないか、何かできたことがあったかもしれないと。
とくに苦しかったのは、じゅりが亡くなる1か月前に旅行に行ったこと。
とても楽しい旅行だったのに、写真の中で笑っているじぶんにすごく苛立ちました。
このときから、じゅりの体は少しずつ弱ってきていたのではないか、私がいなくてすごくストレスを感じていたのはないか、どうしてじゅりを残して行ってしまったのか、後悔が残り、今でもちくりと胸が痛みます。
もしかしたら、もう少し長く一緒にいれたのではないか。いつか終わりが来ることはわかっていても、そう思わずにはいられません。
さみしさは少しずつ消えても、悲しみは消えない。
でもこの1年は辛いことだけじゃなかった
振り返る作業は、心の中だったり、誰かとの会話であったりいろいろでしたが、そのたびに涙がこぼれました。
愛犬じゅりの死があまりにも大きく心を占めていて、今年はとてもとてもつらい1年だったと。
しかしそれだけではなかったことに気づきました。
じゅりが後ろ足の前十字靭帯を断裂し手術をして、もう走り回れないと思っていたのに、回復して楽しそうに芝生を駆け回っていたこと。
炊飯器を断捨離して、ストウブでご飯を炊くようになったり、成城石井でおいしいチョコレートを見つけて、友達にプレゼントしたり。
ブロ友が本を出版することになって、自分のことのように喜んだり。
素敵なお皿との出会いもありました。
ゲーム断ちをしていたのにプレステを買ってモンハンに夢中になり、狩り仲間ができて楽しい時を過ごしたり。
姪っ子がわたしの母校に通うようになって、本当に嬉しくてたまりませんでした。
また今年もベランダの鉢で育てているスズランが咲きました。
じゅりと行った最後の旅行。白馬の雪解け水が流れる川で一緒に走り回って、足が治って本当によかったとほっとしたこと。
些細なことだけど、楽しいこと嬉しいことたくさんあって、そのそばにはいつもじゅりがいて。
新しいご縁にも恵まれて。
2018年、いろんな意味で忘れなれない年になりました。
完結してない、すべてがつながっている
じゅりとともに歩んだ13年間は、わたしの人生で愛おしいものになりました。
いつも一緒。
じゅりのことを考えると、今でも込み上げてくるものがあり、胸がちくりとする悲しみがともないます。それだけかけがえのないものだったから。
でも立ち止まることをせず、今は前を向いています。
人生で起きるさまざまなことは、一つ一つ完結しているわけではなく、折り重なっていて、つながっているのかもしれません。
思い通りにいかないこともたくさん。切なくなることもたくさん。
それもふくめての人生。
すべて受け入れて、いつかこの世を去る日まで背負っていこう。
そんなことを思う平成最後の大晦日でした。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
さいごまでご覧くださいましてありがとうございました。
おまけ:悲しみを支えてくれた歌は『アイノカタチ』
わたしはこの曲を聴くと、じゅりを思い出します。
MISIAの『アイノカタチ feat.HIDE(GReeeeN)』
「ずっとずっと大好きだよ」
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以前の記事で、主人のことを書かせていただきました。